オンライントークイベント『来者は巡る』木村哲也さんをお迎えして
ゲスト:木村哲也 (歴史·民俗学者、『来者の群像』著者)
ホスト:吉國元 (美術家)
進行: 岡村幸宣
会場: cafe & space NANAWATA https://nanawata.com/
概要
NANAWATAにて開催中(2020.02.02-06.27)の吉國元の個展タイトル『来者たち』は木村哲也著『来者の群像』(2017年、水平線) に触発された経緯があります。
「来者」という言葉は、来客、訪ねてくる人、そして後に生まれる人という意味があります。近年では詩人の大江満雄がハンセン病者について「癩者は来者である」と書き、未来からやってきた啓示という意味を「癩者/来者」という言葉に込めました。僕は、僕なりにですが、絵を描くことを通じた他者との邂逅、そのような願いを込めて来者という言葉を使用したいと思いました。
(作家ステートメントより)
2020年2月から展示を開始し、その後目まぐるしく社会の状況は変わりました。ハンセン病療養所の詩人たちと共に活動をし、らい予防法闘争のさなか、『日本ライ・ニュー・エイジ詩集 いのちの芽」(1953年、三一書房)を編み出版した大江満雄。氏の逝去(1991年)と「絶対隔離·患者絶滅政策」のらい予防法の廃止(1996年)を経てもなお、彼·彼女達の鋭利な言葉は、今だからこそより新しく、より重みを持って、生きること、憎むこと、愛することを示めし、故郷とは何か、表現とは何かを問い続けています。 大江満雄と来者たちの現代性とは何だろう?こういう時代だからこそ、知られざる社会運動史から学びたいと思い企画をさせて頂きました。大江満雄とハンセン病療養所の詩人たちの詩の朗読も行います。是非ぜひご視聴下さい。
木村哲也(きむら・てつや)
1971年生まれ。神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。博士(歴史民俗資料学)。著書に『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』(水平線、2017年)『宮本常一を旅する』(河出書房新社、2018年)『「忘れられた日本人」の舞台を旅する―宮本常一の軌跡』(河出書房新社、2006年)、『駐在保健婦の時代 1942-1997』(医学書院、2012年)、編書に『大江満雄集 詩と評論』(共編、思想の科学社、1996年)、『癩者の憲章―大江満雄ハンセン病論集』(大月書店、2008年)がある。
水平線HP:https://henshushitsu-suiheisen.themed...
大江満雄(おおえ・みつお)
1906年高知県生まれ。15歳のとき水害と貧困苦により一家離散し、父とともに親戚を頼り上京。原宿同胞教会にて受洗。石版工として技術を学ぶかたわら、生田春月主宰『詩と人生』準同人となり詩を書き始める。プロレタリア文学運動が盛んになると、その中心で活躍。そのため治安維持方違反で検挙、獄中転向。以降、戦争詩によって詩壇で名をなす。戦後はヒューマニズムを基調とする叙情的思想詩を多数発表した。詩集に『血の花が開くとき』(1928年)、『日本海流』(1943年)、『海峡』(1954年)、『機械の呼吸』(1955年)、『自選詩集 地球民のうた』(1987年)。その他、ハンセン病者の詩のアンソロジー『いのちの芽』編集・解説。多くの評論、児童文学の作品ものこした。1991年心不全により死去。享年85。没後、『大江満雄集ー詩と詩集』(思想の科学社、1996年)が刊行された。
吉國元 (よしくに・もと)
美術家。1986年ジンバブエ ・ハラレ生まれ。 父はジンバブエ現代史、アフリカ人都市労働史を専攻した社会学者。幼少時より絵を始め、主にアフリカで出会った人々の肖像を描いている。1996年日本に移住。高校を卒業後に主に清掃の仕事を5年間続けた後、社会人として2011年に多摩美術大学造形表現学部造形学科油画科に入学。2015年卒業。現在もアフリカの経験と記憶を基に絵を描き続けている。2020年、在日アフリカ人を取材する『MOTOマガジン』を出版。
HP:https://www.motoyoshikuni.com/
撮影、編集:岡本裕志 HP:http://hiroshi-okamoto.com/
参考文献
木村哲也編『 癩者の憲章ー大江満雄ハンセン病論集』大月書店、2008年
木村哲也著『 来者の群像』水平線、2017年